しかし平和というのは突如として突然打ち砕かれてしまうものでもあり、
ルーティスでの平穏の日々は長続きしないものであった。
それはアリエーラがここへ来て3年目、”幻界碑石”の発表をした翌年の最後の月を迎えようとする前のその日のことである。
「教授、どうかしましたか?」
その際のエンビネルの様子は明らかにおかしかった。
というのは、そういえばさっきエンビネル宛に手紙が来ていたのだけど、
もしかしてそれのせいだろうか、アリエーラは予感していた。
「えっ? ああ、アリエーラさん……いよいよルーティス学園にとっては決断の時が来てしまったのかもしれないのだ――」
決断の時? どういうことだろうか、アリエーラは首をかしげていた。
「とりあえず明日のダネイモスと会う約束はキャンセルだな――」
キャンセル? アリエーラは改まって訊いた。
「ダネイモスさんと会うのはいつも楽しみにしていたではありませんか?
それに、急なキャンセルをすると向こうはいつも怒るって――」
そう聞いた気がする、アリエーラはそう言った。
しかしそれに対してエンビネルは首を横に振って答えた。
「……いや、急なキャンセルを突きつけられたのはヤツではなく私のほうだ。
奴は死んだ――ハライアル軍との交戦で亡くなり、それによって前線も突破されてしまったようだ――」
そっ、そんな――アリエーラは驚き、手で開いた口を覆っていた。
「この手紙はダネイモスの訃報と、ハライアル軍の侵攻について明記されていた」
と、エンビネルは言う。しかしそのハライアル軍の侵攻というのがまさに――
「ハライアル軍ということは、いずれこのルーティスにも?」
「……3年前のあの時と同じ、ルーティスが再び戦場になる日もそう遠くはないかもしれん。
私はこのことを学園に話さなければならない、時間がかかるだろう。
だから私の講義はキミが代わりに受け持ってほしい」
それについては異存がなかったアリエーラ、しかしこの先どうなるのだろうか――それだけが不安だった。
小中高の教育については本来であれば教員免許を持つ者しかできない決まりがある。
しかし、アリエーラについては特例で、その人柄の良さと才能を買われ、
こちらでも特別講師という立場で教壇に立つこともままあった。
まさにその日が訪れると、高等教育教師も兼任しているエンビネルに変わってアリエーラが教壇に立っていた。
「あれー? 今日はエンビネル先生いないのー?」
学生の一人が聞くとアリエーラは優しそうに言った。
「はい、今日は私が代わりに授業を担当しますので、よろしくお願いしますね。」
彼女がそう言うと、その教室のムードは一転し、とても明るくなった。
優しくて美人で綺麗なアリエーラ先生がっていうことになると――
恐らく言うまでもないことかもしれないが、それはそれは格別である。
頭もよくて美人! エンビネルではないが、確かに才色兼備とはまさに彼女のためにあるような言葉だ!
「マナを構成する四大上位精霊、大地の力は”ノーマラス”、水の力は”ウンディーヌ”、
炎の力は”サラマンドラ”、ですが、あと1つは何でしょう?」
「はい! アリエーラ先生! もうひとつは風の力の”シルファーヌ”です!」
授業は着々と進むが、アリエーラは自分が教壇に立っている理由を考えると何とも言えないものがあった。
とにかく、その日のアリエーラは自分の講義とエンビネルの講義のどちらもこなさなければいけないためとても忙しい一日で、
他のことに着手する余裕など全くなかった。
特にアリエーラ先生は児童・生徒・学生、そして教職員などからとても人気があり、
まさしくアイドル的存在と言っても過言ではないほどの存在のため、なおのことである。
一方のエンビネルについては学園側と話をすると言ってどこかへ行ってからというものの、
学校の放課後以降も帰ってくる様子はなく、ずっと話をしているようだった。
恐らく、ルーティス学園どころかルーティス市の規模で話をしなければならない有事であることは間違いないだろう。
研究室に戻り、エンビネルが帰ってこない中、アリエーラは思っていた、
ルーティスが戦場に――恐らく、それは避けられないことなのだろう。
それから数週間後はその年の最後の月、恐れていた通りルーティスとハライアルとの間に戦争が起きた。
ルーティスの精鋭たちの守りは固く、ハライアル軍の侵攻は容易にはいかないけれども敵も必至、
防ぐ身にとっては楽ではない行軍だった。
「今日まででルーティス防衛区は2つまで突破されているが……3つ目の防衛区はなかなか破られないらしいな」
噂話が聞こえてきた、誰が話しているのだろうか、そこまでは確認できなかった。
「3つ目の防衛区はシャトが住んでいるところだからじゃないか?」
「ああ、”手練のシャト”ね、住んでいる場所というだけの理由で3つ目の防衛区に配属されているのね、
あのオッカナイ女」
「ホント、オッカナイよな。せめてアリエーラさん見たく、キレイでおしとやかだったらいいんだけどな――」
自分に対する感想は聞き流したアリエーラ、
シャトと言えばずいぶん昔にルーティス学園内で知り合った仲でもあった。
アリエーラは彼女の様子が気になった。
数日後、アリエーラはシャトを訪ねて彼女の家にやってきた。
「久しぶりね、アリ。それにしてもわざわざこんなところまで珍しいわね」
「すみません、どうしているのか気になってしまったので――」
シャトは、ディスタード帝国では特殊部隊員としての地位についており、
同帝国内では女性の出世は異例の人事でもあったが、
噂話のとおり”手練のシャト”という名でエンブリアに知れ渡っているため、その腕を買われているようだ。
それに彼女は元々はルーティス出身の身でもあるが、実はアリエーラ同様昔の記憶がない。
そして、彼女は何より――
「それにしても、珍しいですよね。」
「確かにシェトランド人がここまで関与することなんてそうそうないことかもしれないわね」
そう、彼女はシェトランド人。
一部のシェトランド人は自分たちの生活のために傭兵としてこういう場所にいることはあるかもしれないけれども、
ディスタードの特殊部隊員などというキャリア組として所属していることは珍しいのである。
「それよりも、わざわざ激戦地まで来て何の用なの?」
アリエーラはうろ覚えになっている自分の3年前のこと、
エンビネルらから聞いた当時の自分のことを考えながら話をした。
「シャトさんはただのシェトランド人ではありませんよね?」
シャトは驚いた、そういえば以前にアリエーラはその話題で新聞の一面を飾ったことがあり、
その後のエンビネルへの取材内容のことを思い出した、
アリエーラの口から直接以前の記憶がないことを聞いたことがあったが、
エンビネルの話では、もっと何やら深刻な内容が伺える。
いや、それだけではない、アリエーラの口から直接聞いた話以上にとある出来事がすべてを物語っていた。
「アリ、まさかあなたも私と同じだっただなんて――」
そう言われたアリエーラ、なんというか、彼女自身もしっくり来ているようだった。