アーカネリアス・ストーリー

第5章 深淵へ……

第145節 ネシェラの計算教室

 マドラスが死んだ――何故? 本当にマドラス?
「俺は別に家出をしたわけじゃないんだが、その目的は俺と同じだろうな。 俺は親父がどうなったのかが知りたかった、あの強い親父がどうしていなくなったのか―― それが知りたかったからアーカネル騎士に入団したんだ、ライアもそうじゃないのか?」
 随分前にロイドが言っていたことだ、 エターニスのライト・エルフ……あのロイドの戦闘能力を見てもわかる通り、 その親も相応の能力を持っていてもおかしくはない。 だが――それだけの能力者が何故いきなり亡くなったのか? 事故?  でも――これだけ死亡者あるいは失踪者が出ていて、 なおかつ伝説の名を遺す存在までもが死んだというのもなんだか不自然が過ぎる気がする。 それはマドラスしかり、ティバリスしかりである。

 それはある日のこと――ライアがネシェラと共に特別講師として学校に呼ばれた時のことである―― 特別講師として呼ばれたのはどちらかというとネシェラなのだが。 放課後、誰もいない教室へと2人はやってきた。 ネシェラはチョークを取り出し、黒板に何やら計算式をずらずらと書き並べていった、 実際に授業でやっていた問題だ。
「こういう問題だったわね。 で、授業の中ではこういうふうに解かせていたんだけど――」
 よく覚えているな――ライアは感心していた、 彼女はネシェラが書いている内容を生徒の席から座って眺めていた。
「ということで、答えはこうなる、と――」
 と言いつつ彼女はため息をついていた。
「ん? なんかダメ?」
 すると、ネシェラは書いた解き方を消し――
「とりあえず、この文章題から出てくる計算式についてはこれで問題ないけど―― 実はこの問題、こういう解き方があるのよね――」
 と、ネシェラはそれを書いて見せるが――
「まず、ポイントはここね。 この数字とこの数字の差分がいくつかであること。それからこことここ。 これとこれもそうね……これとこれもそうよね――」
 ライアは考えていた。
「確かに、共通性みたいのは見えてくる気がするけど……」
 ネシェラは得意げに話した。
「しかも、特筆すべきはこれよ、すべての数字がそれぞれ偶数になっていることよね?」
「確かに! 言われてみればそうだったわね!」
「ええ。で、すべての数字を掛け算しろっていうのがこの問題の答えだから、 2倍するのなら今じゃなくてもいいわよね?  全部数値が大きくても100ぐらいの数値なんだし、それぞれの数値を2で割る程度ならすぐに出てくるでしょ?」
 それは、まあ――ライアは頷いた。
「さてと、ここからがある意味本題ね。 さっき組み合わせた数値の組……例えば、これとこれなんかはどうかしら?  これなんかは10から1多いのと少ない数値よね?  これは10から2多いのと少ないの……って感じでしょ?」
「ええ。それで?」
「つまり、それぞれ計算式で表すと、こうなるわけよ――」
「ええ、まあ――でも、それだと足し算引き算が増えて余計にややこしくならない?」
「それがそうでもないのよ。 例えばさっきの10から1多いのと少ないの……9×11だから99よね?  足し算引き算を入れていた状態だとこう計算して――10の2乗は100と1の2乗は1を引いたものが答えになる――99じゃない?」
 えっ、まさか――ライアは閃いた。
「それ、因数分解!?」
 ネシェラは頷いた。
「理系志望だった?」
 ライアは頷いた。
「お母様がやりなさいって言うからやることにしたのよ。 本当はお姉様と同じ文系がよかったんだけど、 論理的思考が養われるからって言われたし、私の成績的にもどっちにも向いていたし――」
 お姉様文系でこの妹は理系……わかりやすい――ネシェラはそう思った。 天才と言えばネシェラばかり引き合いにされがちだが、何気にライアもインテリキャラだったりする。
「まあ――別に解き方なんて好き好きだけど、こういうやり方もあるって言いたかっただけよ。 だからこの問題、因数分解を利用すればある程度全部暗算で解けなくない?  ほらほらほら……全部2乗と2乗を引いたものが答えになるのよ。」
 ネシェラがていねいに書いてくれる分にはわかる気がすると思ったライアだった。
「さらにその計算結果もいくつかが全部2乗と2乗を引いたものが答えになるっていうカラクリ…… 多分今回の教育課程で出すような問題じゃあないみたいねこれ。 ちなみにこの解き方をした生徒が実は1人いたんだけど、 先生からは”その解き方はまだ教えていないからダメです”って言われて却下されていたのよ。」
 えっ、そんな――
「確かに先生の言い分はわかる、これまでやってきたルールの中で問題を解きなさいって言うことでしょ?  そうすることでそれまで習ってきた内容の理解力を試すことになる――それはわかる。 けど――私はそういうのは好きじゃないわね。 その子の独自性と努力、すべてを無にしていくやり方は気に入らないわね。 だから私、正直学校の勉強なんて大嫌いだった。」
 超インテリキャラで定評のあるネシェラがそう言うとは――なんか意外だった。
「好きなように解かせてくれればいいじゃないのよ。 それなのに、ルール的にそれはダメとかあれじゃないとダメとか――理不尽にもほどがあると思わない?  ルールの中であれやれこれやれってさ――一体誰得なのかしらねぇ?  そう言うこともあって私、過去に”先公”に”寝言は寝ておk”って言ったことがあるのよ。」
 さっ、流石ネシェラ……本当に言ったのか――ライアは悩んでいた。
「えっ、言って――どうなったの?」
「呼び出されたわよ、もちろんすっぽかしたけど。 で、翌日になって改めて強制的に呼び出された時にエザント先生の研究室に呼ばれることになってね、 それ以来あの先公には二度と会ってないわね。」
 そのままネシェラの逃げ勝ちということか……やっぱりヤバイなネシェラ――。
「ヴァナスティアの留学からちょうどアルティニアの小学校に戻ってきたときの出来事だったわね、 ほんの1~2か月間の出来事だったけど、あの学校での思い出って本当にろくな思い出がないのよね。 まあ――なんかしょーもない話しちゃったけどさ、 私にはやることがあんのよ、たかだか勉強ごときに時間を取ってらんないのよ。 そのためだったらちょっとぐらい近道したっていいと思わない?  因数分解したあの子だってそうだったハズなのよ――」
 やることって――ライアは訊いた。
「ネシェラは――やっぱりお父様……それからアルお姉様も?」
 ネシェラは頷いた。
「ええそう。 とにかく、風雲の騎士団の失踪について調べたかった―― アーカネル騎士団が束になってもまったくわかっていないその謎、解明するのが私の使命だって思ったのよ。 お父様もお姉様も強くてとても優しかった――そんな2人がどうしていなくなることになったの!?  あの2人が何をしたって言うの!? 私が持っている力のすべてを駆使して探してやろうじゃないか―― あの時は子供心にそう決意したのよね――」

「何故、マドラスが死ぬことになったの?  不思議よね、多くの人がいなくなったり死んだりしているのに飽き足らず、 どうしてそんな伝説の名を頂くような人物まで? 単なる偶然かしら?」
 ライアはそう訊くとアウロディ隊長は悩んでいた。
「言われてみれば確かに妙ですね――。 それにおっしゃる通り、実はそもそもマドラスであるかどうかの身元の確認は取れておらず、 単に”こいつはマドラスだ”と人伝に訊いた内容だけで処理されているような気がします。 アーカネルから遠く、しかもアーカネルから流れてくる地ということもあり、 一部の者は意外と身元までは判明しておらず、人伝がすべてみたいな所がありますね――」
 これは――ライアはなんだか自ら糸口を勝ち取ったように思えた。
「身元が割れていないんじゃあマドラスが死んだって言う証拠にはならないんじゃあないかしら?  だいたい、そんなんじゃあ報告する執行官次第では”寝言は寝ておk”って言われて突き返されるわよ?  となると、きちんと調べる必要があるんじゃないかしら?」
 ライアは”先公に向かって寝言は寝ておkと吐いたお姉さん”の如き得意げな態度でそう言った。